「2つの疑問と仮説」

ブルーノートの音楽は、なぜかっこいいか?
日本人はなぜビルエヴァンスが好きなのか?

 

 ジミースミスにブラックミュージックの真髄をみたであろうアルフレッドライオンは、ジャズやブルースのルーツである労働歌、人を埋葬する時の楽隊演奏曲、教会音楽をよく研究し、さらにはその先にある黒人の虐げられた歴史を深く理解していただろう。
 理不尽な差別、残酷な虐待から生まれる深い哀しみと絶望、そして一瞬舞い降りる至福の悦びが交差する時、生へのリズムが生まれる。これがいわゆる黒いと言われる部分で、そこには黒人の歴史が凝縮されているような気がする。生へと向かって動き出した呼吸リズムは、ファンキーに激しく、深いソウルを伴いグルーヴは大きなエネルギーとなる。荒く激しくウェイヴした波は、次第に静かにゆっくりと我々を包み込む。ブルーノート創始者のアルフレッドライオンは、既にある音楽を録音したのでなく、自分が作りたい音楽を新たに録音した。黒人音楽の本質を捉え、その本質から感じたフィーリングで多くの音楽を作った。何事もいかに本質を捉えるのが大事なのかと気づかされる。
ならば、日本音楽、日本人文化のルーツは何かと探っていると必ず「詫び寂び」という言葉が出てくる。それがもう一つの疑問の答えに繋がる気がする。
 詫びとは、不足の中に心の充足を見出そうとする意識。寂びとは、閉寂のなかに奥深いものや豊かなものがおのずと感じられる美意識であるならば、詫び寂びとは、物質的には物足りない質素な状況で豊かさや美しさを感じること。エヴァンスは、戦争体験や、家族との死別で多くを失った。そして、失った悲しみを時間をかけて受けいれて消化しようとした。その時にリリシズムというフィルターが必要だったかもしれない。エヴァンスの感じた哀しみ寂しさは、リリシズムフィルターを通って美しい音へ変わる。一音一音は、まるで一粒一粒の宝石のように耳元で輝く。このシステムは、多くの詫び寂びを生んだ。